美の零落 1

美という語にはいくつかの意味があるが、ここでは女性にきれいだと言うときのようなヴィーナス的な美とはまた異なる、藝術や自然に宿る姿形のうつくしさを扱う。「真・善・美」というときの美を想定している。

美はまず自然に宿る。次いで自然美が人を美的な高みに導き、美的にすぐれた建物や景観、藝術品などができる。この段階が美においては理想的な状態で、自然と真・善へ向かう感覚が磨かれていく。キリスト教的な言い方をすれば神が唯一の真・善・美であり、神の言葉へ向かいその恩寵を受けることのできる時代が存在した。
しかし、20世紀以降テクノロジーのエネルギースケールが自然を改変できるほどに増大し、経済効率その他美とは全く関係のない理由で街が作られていった。美的に貧しい環境では人の美的感覚は明らかに育たないだろう。それに伴い、真や善を捉える感覚はなくなっていくだろう。人は、神から離れていく。

経済効率を求めて物を作り続けた結果、物的豊かさを得られたからよいのでは、という意見もあるだろう。だが、私は例えば物的豊かさを得るために偽・悪・醜を迎え入れようという考え方には抵抗を感じる。物が豊かでも盗みや殺し、悪政の世界ではあまり意味がないだろう。

ここで、美的世界が堕ちる情景を3人の作家1の視点から見ていこう。

「沈黙の春」で環境問題を告発し、世界に初めてのインパクトを与えたレイチェル・カーソン。彼女はその「沈黙の春」の冒頭に印象的な寓話を載せている。

アメリカの奥深くわけ入ったところに、ある町があった。生命あるものはみな、自然と一つだった。町のまわりには、豊かな田畑が碁盤の目のようにひろがり、穀物畑の続くその先は丘がもりあがり、斜面には果樹がしげっていた。春がくると、緑の野原のかなたに、白い花のかすみがたなびき、秋になれば、カシやカエデやカバが燃えるような紅葉のあやを織りなし、松の緑に映えて目に痛い。丘の森からキツネの吠え声がきこえ、シカが野原のもやのなかを見えつかくれつ音もなく駆けぬけた。(中略)ところが、あるときどういう呪いをうけたのか、暗い影があたりにしのびよった。いままで見たこともきいたこともないことが起りだした。若鶏はわけのわからぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。どこへ行っても、死の影。農夫たちは、どこのだれが病気になったというはなしでもちきり。町の医者は、見たこともない病気があとからあとへと出てくるのに、とまどうばかりだった。そのうち、突然死ぬ人も出てきた。何が原因か、わからない。大人だけではない。子供も死んだ。元気よく遊んでいると思った子供が急に気分が悪くなり、二、三時間後にはもう冷たくなっていた。 自然は、沈黙した。2

これは、自然の喪失についての文である。実際当時のアメリカでは経済効率(というより化学薬品の利権か)によって自然が改変あるいは破壊されていた。

「苦海浄土」で水俣病患者の壮絶な悲劇を文学の形で伝えた石牟礼道子。
彼女の著作「花びら供養」には、日本の美の喪失について直接書いた一節があるので引用してみよう。

たとえば一個の人体としてこの列島を見てみるとする。水俣だけにかぎらない。心臓も腎臓も右脳も左脳も、もう血液どろどろではないか。ちなみに山つきの棚田のほとりの、水の源、小川のはじまるところを見てまわっていただきたい。必ず、三面コンクリート張りのドブに改修され、フナもドジョウもナマズもタニシもシジミも川藻も死に絶えて「小鮒釣りしかの川」は腐臭を発しているはずである。少なくともわたしの身辺では、そうなっている。近代教育を受けるようになって知的に上昇したつもりで、田舎を見下げ、その山川や先祖の墓地の面倒を見てきた村落を見捨ててきた都市の年月があった。「都市と地方の格差」は経済のことだけではなく、この国の近代の精神史に、異常なゆがみをもたらしている。
食の安全と声高にいうけれど、農薬や化学肥料なしで作物を作れる農家が減ったために、野菜の味も変化していることを「消費」と「要求」だけを心がける人々は気づかず、味覚が落ちていることに気づかない。三年ほど前、東京にゆくことがあって、某有名ホテルの食堂や無名食堂で、野菜の不味さにショックを受けた。国民的味覚の下落が起きているのではないか?
うっかりテレビのスイッチをひねると、タレントたちのしぐさ、表情、身につけているものの色も形も下品の限りである。日本人は世界の水準をこえて、その下卑さにおいて群を抜いているのではないか。子供の学力や躾の無さは親や家のせいだろうから、戦後六十年かかってこの国は、精神のたががゆるんでしまったにちがいない。あらゆる意味で「美」と「徳」の基準を見失い、倫理社会から失墜してしまったとしか思えない。3

かなり直接的に、日本の美的凋落について書いている。このような美的凋落を招いたものは、それこそ水俣病を招いたものと同根であろう。

2008年に「日本語が亡びるとき」が話題となった水村美苗。彼女は同書の最終章で、たとえいくら文化財を壊しても、日本人さえいれば日本を見失うはずはない、という坂口安吾の意見に反論する形で、そんなことを思っているうちに日本の風景はどうなったか、と続ける。

建築にかんしての法律といえば安全基準以外にないまま、建坪率と容積率の最大化を求める市場の力を前に、古い建物はことごとく壊され、その代わりに、不揃いのミニ開発の建売住宅と、曲がりくねったコンクリートの道と、理不尽に交差する高架線と、人が通らない侘びしい歩道橋と、蜘蛛の巣のように空を覆う電線だらけの、なんとも申し上げようのない醜い空間になってしまった。散歩するたびの怒りと悲しみと不快。4

その後、京都でさえも日本人は壊し続け、西洋人が腰を上げて保存している、と続く。これも文化の喪失、したがって美の喪失に関する証言の一つである。

このような、20世紀以降の開発による美の凋落はあらゆる国で起きていることだろう。ただ、とりわけ日本は景観保持意識などが弱いといわれる。また、そんな美が失われ続けている日本において、子供たちの言語基礎能力の低下が見られているという。美の喪失との因果関係はわからないが、「ごんぎつねが読めない子供たち」という話を見てさすがに驚いてしまった。
次回があればそんなことを考えてみたい。

  1. ヴィーナス的な美の話じゃないといいつつ3人とも女性作家だが全くの偶然である。 ↩︎
  2. レイチェル・カーソン「沈黙の春」青樹簗一訳(2016,原書1962) ↩︎
  3. 石牟礼道子「花びら供養」(2017,引用部は2008年著) ↩︎
  4. 水村美苗「日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で」(2008) ↩︎

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